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シグルイと土井利勝と正定寺2

前回の続きです。

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シグルイの土井利勝には髭がありましたが、この像にはありません。
利勝の髭についてはちょっとしたエピソードがあります。

利勝が徳川家康の御落胤、という説は広く流布されていたようで、
この説は江戸幕府の公式記録である徳川実紀(とくがわじっき)にも紹介されているそうです。
といっても徳川実紀は利勝生前に書かれたものではなく、江戸後期に編纂されたものなので、
事の真偽を問うというよりあくまでこの説の紹介するというだけのものだと思います。

本題の髭の話ですがこれは江戸中期に記された落穂集によれば、
「利勝は家康の御落胤であり、壮年に入り、その容貌はますます家康に似てきたので人々の噂になった。
噂になっていることを聞いた利勝は、家康に似ていると言われないように髭を剃り落として登城した。
髭のない利勝を見て人々は驚いた。
今でこそ髭のないのは普通であるが、
当時は髭を剃る事はとてもめずらしい事だったので、人々が驚いたのも当然である。
『理由はわからないまでも、高名な利勝殿が髭を落としたのなら、私も落とした方が良いのだろう』
と真似をする人が続出し、これが広まり、今では髭を落とす風習が一般となったのである。」

利勝の影響力の強さがよくわかるエピソードです。

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さて、利勝像の横には碑文があります。

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中央の石がごっそり剥げ落ちておるのが気になりますが。

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碑文の横にある立て札です。
碑文の内容なんていつもは全く気にしませんが、これには驚きました。

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なんだってー。

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写真中央。確かに『徳川家康公之子也』とあります。
落穂集もそうですが、こうも堂々と言い切って良いんですかね。

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その横のお堂。

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中には白蛇の置物があります。
シグルイで忠長が久能山の家康廟に詣でた際に現れた蛇を思い起こしました。

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白蛇の置物には紋が描かれた生地があります。
左は徳川家の家紋ですが、右はなんでしょうか。
土井家の家紋ではありませんが。

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さて、そこから少し離れてタヌキの置物が。
家康に似たモノとしての暗喩でしょうか。

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こちらは念仏塚。後ろにあるのは高台の鐘楼。

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『奉納 二代土井利(?) 念佛塚 正保二年(一六四五)』
とあります。
第2代藩主、土井利隆がたてたものでしょう。
ちなみに1645年は利勝が亡くなった翌年です。
土井利隆は1646年に父の冥福のためにこの正定寺に鐘を寄進しています。
この鐘は戦前まで時刻を知らせたり、非常時の早鐘に使われたりで地元民に慕われたそうですが
第二次世界大戦の折に徴集されてなくなってしまったそうです。

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今あるこの鐘はその後置かれた物ということですね。

ところでこの利隆は父に似ず暗君だったそうで、
反発の強まった一族により実権を奪われ、隠居するハメになったそうな。

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鐘楼から見降ろした正定寺。

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法然さんと土井利勝。

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鐘楼から下りるとちょっと気持ち悪いカエルの置物がありました。
ホラーな目をしてやがる。

というわけで正定寺レポートでした。
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[ 2010/10/25 22:25 ] シグルイ | TB(0) | CM(-)

シグルイと土井利勝と正定寺1

ようやく藤木と伊良子の闘いに決着が着きました。
原作駿河城御前試合は読了済みなので、勝敗に関しては知っていましたが、
三重殿の心情の相違や伊良子の野心の理由は流石に予想外でした。

ところで15巻には土井大炊頭利勝なる人物が出てきました。
下総古河16万2千石の初代藩主。幕府の最高権威。家康の御落胤という説も。
家康時代から徳川家に仕え、二代目将軍秀忠の側近となり、三代目将軍家光を補佐。
江戸幕府の中枢にいて政治手腕を振い、名君として評価も高い人物です。

シグルイ内では描かれていませんが、利勝は意外な人物と因縁があります。
柳生宗矩の推挙できた虎眼先生を面接し、
「太閤殿下の御指も、その方と同じ数であるぞ」と言った人物、本多正純です。

この本多正純は家康・秀忠に仕えて出世し、権勢を誇った人物ですが、
政敵である利勝の謀略により失脚させられたという説があります。

さて、土井利勝でネット検索していたのですが茨城県の古河に
正定寺(しょうじょうじ)という土井利勝の開いた寺があるそうな。
正定寺(しょうじょうじ)とは言っても
「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は」のしょじょじではありません。
あちらは木更津にある證誠寺です。
たまたま古河に行く用事があったので、ついでに行ってきました。

細い車道沿いにあって入口が分かりにくかったですが、寺自体は結構広かったです。
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駐車場から見た門。

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少し高台になった所に鐘楼があります。

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門の手前横に正定寺の沿革があります。

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が、字がかすれてとても読みにくいです。
写真には『土井利勝』と書かれています。

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門をくぐって正面。

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本堂です。

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本堂のガラスには土井家の家紋が描かれています。

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左手は墓地になっています。

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本堂から右に目を向けると、二つの像が立っております。

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一方は法然上人。

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そしてもう一方は御目当ての土井利勝。御供えにあるのはなんの果実でしょうか。

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建立は平成元年。比較的最近ですね。

ページが縦に長くなったので二回に分けます。
[ 2010/10/25 22:24 ] シグルイ | TB(0) | CM(-)

シグルイとタケミナカタ

シグルイ主題歌 (アラレちゃんOP)

やっと出たぞ12巻
ペーラペラペーラペラー フンフンフンフンフーン
ぜーんぜん話が進んでない

(中略)

みんな気になる 御前試合 
藤木と伊良子と どっちかな
13巻のお楽しみ


というわけで買いましたシグルイ12巻。
で、思った事。
藤木と峻安が腕試しをする際、星川が木剣を差し出すコマにて、
練武場に掛かっている掛け軸に「建御名方」とあります。
これは諏訪明神としても有名な、建御名方神です。
練武場は家老三枝の屋敷内と思われます。
三枝に信仰心があったのか、それとも単に練武場という場所に軍神の掛け軸を飾りたかったのか、
それは分かりませんが、武家にとっては軍神として名高いこの建御名方を特別視するのは当然でしょう。

しかし少し疑問に思う事があります。
江戸時代初期における武家にとって、建御名方信仰はポピュラーであったたのなら、
この疑問はさしたる事ではないのですが。

先ほども述べました通り、建御名方神は諏訪大社で祭られる諏訪明神と同一です。
(まあ細かい事言うとミシャグジサマとかの土着神が出てくるので略)
その諏訪(長野)の地を支配し、諏訪明神を厚く信仰といえば武田信玄です。
そして武田信玄に苦しめられたのが、後の徳川家康なわけです。

三枝が外様大名に仕える身であったなら、建御名方を信仰していても問題はないかもしれませんが、
親藩徳川忠長の家老が、かつて強く敵対していた大名家の神を仰ぐ事は許されるのでしょうか。

まあ江戸時代における信仰観、建御名方の知名度等、徳川家の許容量等知りませんので
私の勝手な深読みというか、思い込みのようなものなんですが。
[ 2009/03/21 00:41 ] シグルイ | TB(0) | CM(-)

笹原権八郎2

何卒 千加殿を嫁に
笹原権八郎2

色塗った奴あげるの忘れてました。
笹原修三郎の活躍が早く見たいです。
[ 2008/09/04 01:55 ] シグルイ | TB(0) | CM(-)
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